セン『アイデンティティに先行する理性』

はじめに

 コミュニタリアニズムを激しく批判し、ロールズの偉大さを説いた本書。

 共同体内によって育まれるアイデンティティは、確かに大切ではあるだろう。だからコミュニタリアンは、共通価値を涵養せよと説く。

 しかし人は、この共通価値(アイデンティティ)を、解体、更新したくなるときもある。

 それを可能にするのは、理性である。

 ここに焦点を当てない限り、豊かな政治思想は築けない。

 センは本書で、そう訴える。


1.コミュニタリアニズム批判

 ロールズを高く評価するセンは、ロールズの批判者として名を馳せたサンデルを次のように批判する(ロールズ『正義論』、サンデル『リベラリズムと正義の限界』のページ参照)。

「共同体意識が共同体内部で常に正義の心強い味方であるとしても、正義の方は共同体意識だけを頼りにすることはできない。というのは、社会的相互作用というものは、愛情や仲間意識の絆で堅く結ばれた者同士ばかりで成り立っているわけではないからである。」

 ロールズ的リベラリズムは、各人の多様な価値観を超えた、中立的な正義の原理を見出そうとする。それに対してサンデルらコミュニタリアン(サンデル自身は自分はコミュニタリアンではないと言っているが)は、正義は個々人の共同体的価値観の内側から見出されるべきものだと主張する。

 センからすれば、このようなサンデルの思想を認めるわけにはいかない。

 それは、共同体的価値観から抜け出ようとする人を、許容することがないからだ。

「本当は選択の可能性があるのに、そんなものは無いのだと思い込んだとしよう。そうすると理性的判断は停止し、その代りに順応主義的行動を無批判に受け入れてしまうことになりかねない。」

 コミュニタリアニズムは、諸個人を共同体的価値に順応させ、飼いならす思想だ。センはそう言うわけだ。



2.ロールズ評価

 だからこそ、センはアイデンティティに先行する理性を重視する。何らかの共同体的価値観に捕われたアイデンティティがあったとしても、理性はそれを常に更新することができる。センはそう考える。そして、ロールズに最大の賛辞を送って本書を締め括る。

「どのようにして正義について合理的に考えればいいのか、なぜ現にある選択を認めなければならないのかを、教えてくれたのはロールズだけである。われわれは、まさにロールズが開いてくれたこの道をこれからも進んで行くことができるのである。」


(苫野一徳)



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