バークリー『人知原理論』

はじめに

 ロックヒュームらと並ぶ、イギリス経験論の代表的哲学者バークリーは、しかし哲学史的には、ロックヒュームに比べて、ややその評価が劣っているように思う。

 しかし私は、彼は様々な点において、現代哲学にも先駆ける相当な洞察を展開した哲学者だったと考えている。

 もちろん、聖職者だったバークリーが、結局最終的にはという実体を持ち出したのは、ヒュームなどに比べて哲学的にはやや劣るような印象もある。

 しかしそれでもなお、彼の哲学には、極めて優れた洞察の数々を見出すことができると私は思う。


1.抽象一般観念の否定

「私は一般観念があることを絶対に否定するのではなく、ただ抽象一般観念があることを否定するのである。」

 善、美、真、あるいは犬、とか、動物、とかいった抽象一般観念は、われわれの存在に関係なく、世界に実在している。われわれは普段、素朴にそう思っているだろう。

 言葉を持つ存在であるわれわれは、それゆえ、この言葉によって指し示されたものが、あたかも絶対的に実在しているかのように思い込んでしまう。



 しかしそれは間違いである、とバークリーは言う。



「普遍性は、ある事物の絶対的積極的な本性ないし想念に存しなくて、ある事物がその非標示ないし表示する他の特殊な事物に対して有する関係に存するのであり、この関係によって事物や名前や思念は、それ自身の本性において特殊であるにもかかわらず、普遍的にさせられるのである。」



 これは大変な発見だ。


 ソシュール言語学によって明らかにされたことが、ここに先取りされているといっていい(ソシュール『一般言語学講義』のページ参照)。

 われわれは、海、川、山、という言葉をもっている。

 だから、あたかもこの海、川、山、というものが、われわれとは無関係に実在していると思い込んでいる。

 しかし、むしろそれは逆なのだ。自然世界を切り取り、それを海、川、山、と名づけたのは、われわれ人間自身にほかならない。

 だから、抽象一般観念がわれわれに先立つのではない。われわれがこの観念をつくったのだ。

 そんなわけだから、たとえば「善」という観念もまたわれわれがつくったものであって、では抽象的絶対的な「善」とは何か、と問うても、そもそもそれはわれわれの創造物なのだから答えを出せるわけがない。

 そこでバークリーは次のように言う。

「特殊観念よりほかに何も持たないと知るものは、名前に添えられた抽象観念を見出そうなどとは思わないだろう。知識の樹をみるためには、言語の遮蔽幕を取り除けるだけでよいのである。」

 言語を実体化してしまうから、われわれは抽象観念を追いかける無意味な研究をしてしまうのだ。

 そうバークリーは言うわけだ。

 まさに現代哲学に先駆ける、極めて優れた洞察である。(
ウィトゲンシュタイン『哲学探究』
などのページを参照。)


2.神の実在

 以上のようにして、バークリーはあらゆる実体化された概念を破壊していくのだが、その方法はまったく見事だ。

 私もロック『人間知性論』のページで批判したが、バークリーもまた、ロックにおける第一性質第二性質という考えを否定する(ロック『人間知性論』のページ参照)。

 正しい認識とは、真理を自らの精神にそのまま写し取ることだ、という写像理論もまた、これは背理だと言って批判する。

 真理なる物自体という考え自体が背理であって、われわれはつねにわれわれの側からこの世界を構成しているのだ。

 ウィトゲンシュタインも、また彼の影響を受けたローティも、その著書『哲学と自然の鏡』においてこうした写像理論を否定したが、実はそれは、とっくの昔にバークリーがやっていることだったのだ。

 さて、このように現代哲学にも肉薄するバークリーの哲学ではあったが、しかし残念なことに、結局最後には認識を保証する「神」という存在が持ち込まれることになる。

 時代の制約上、仕方ないことではあるだろう。しかしここに検証不可能な「神」を持ち出すことは、やはり哲学的にはせっかくの洞察の後退であったいわざるをえない。

「それにもかかわらず、自然の業とよばれる事物は、人間の意志によって生み出されない。それゆえ、こうした観念ないし感覚を引き起こすある他の精神がある。」

「それゆえ明らかに、神は絶対確実かつ直接に知られる。いや、神の存在は人びとの存在より遙かに明白に知覚されると主張してさえよい。」

 ヒュームは、われわれの観念は実は何もかも疑わしいが、結局はおのれの感覚と観念をひとまずは信用してもいいだろうと言った。他方バークリーにとっては、人間の観念や認識は、結局のところ神によって保証されている。
 
 この点だけをみれば、バークリの哲学はヒュームにやや劣ると言えるかも知れない。
 
 しかしそれでもなお、バークリーの哲学には、きわめて優れた先見性があったと私は思う。

(苫野一徳)

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