フッサール『イデーンⅢ』

はじめに

Edmund Husserl 1910s.jpg 本書第3巻のサブタイトルは、「現象学と、諸学問の基礎」である。『イデーンで明らかにされた現象学的方法が、いかにして諸学問の基礎たりうるのかが丹念に解説されている。

 特に、現象学と心理学はどう違うのか、そしてなぜ現象学が心理学の基礎たりうるのかが、これでもかというほど細かく記述されている。

 以下では、なぜ、そしてどのように、現象学が諸学問の基礎たりうるのかについて、かいつまんで見ていくことにしたい。


1.諸学問の基礎=経験の意味本質

 『イデーン』のおさらいからしておこう。フッサールは言う。

「経験に即する思考は、およそ一般に経験に『準拠する』ものである以上は、そうした思考は、経験からのみ究極的な正当性の根拠を汲み取ってくることができる。」

 絶対的な客観世界があり、これを経験とは関係なく明らかにしようとすることは、そもそもにおいて不可能である。私たちは徹頭徹尾経験世界を生きているのであって、この経験の意味本質を明らかにすることのみが、諸学問の基礎となる。

 学問とは経験からはなれた絶対的客観的事実のことだと思っている人が多いが、それは完全にナンセンスなのだ。フッサールはそう主張する。

「ひとりだけで孤立しているような実体というものは (ここで実体というのは、あらゆる客観的実在的なものは実体であるというような意味において言われている)ナンセンス・無意味である。」

 そして言う。

「経験がおのずから明示しまたその経験の本質のうちに明白に根拠づけられるところの方法上の諸規範は、自然科学的な方法に対して規定的なものでなければならない。」

 ではこの、経験の本質のうちに根拠づけられる方法上の規範とは何か。

 フッサールによれば、それは「直観」である。

 「見えてしまう」「聞こえてしまう」「感じてしまう」といった、およそ疑い得ない直観的経験こそが、あらゆる学問の基礎なのだ。

「基礎づけは、最後には、思考の領圏を越えて、直観に、そして最後には、原的に与える働きをする直観に、行き着くのである」



2.概念とは何か

 学問の営みにおいて欠かせないのが、「概念」である。自然科学における諸記号もまた、「概念」の一種と言っていいだろう。

 さて、ではこの概念とはいったい何か。

 それは、もともと客観世界に存在しているものの写し言葉などではなく、私たちが経験を普遍化して作り上げたものである。

「概念というものは、経験に基づきそこから普遍化によって生じてくるものである。」

 それはどのような普遍化か。

「あらゆる経験は、その対象をそれが『いかなる性状において存在するか』という面から規定するものとして、ひとつの規則づけられた経験なのである。」

 こうした「いかなる性状において存在するか」という経験をまとめあげることで、類の概念ができあがるのだ。


 以下では現象学と心理学の違いについてが述べられるのだが、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』などでも執拗に論じられているテーマなので、ここでは割愛する。


3.解明の方法

 フッサールによれば、以上述べた「概念」の本質を明らかにすることが「解明」と呼ばれる作業であり、現象学の最も重要な方法の1つである。

「解明は、正確に、当該の例示的な直観客観の構成の諸段階を追究せねばならない。ある事物がただ見えているだけの場合には、その事物は与えられておらず、事物概念は現実的な明瞭性へともたらされてはいない。」

 さまざまな概念を、その概念たらしめる本質契機、本質的構造を明らかにすること。これが解明のことだと言っていいだろう。「音」でも「自然」でも「愛」でも「友情」でも何でもいいが、われわれがある概念として捉えているものを構成する本質的な構造はいったい何か。これが解明だ。

 と言ってもフッサールのこの言い方ではいまいち分かりにくい。

 私は、概念を概念たらしめている意味本質を明らかにすること、と言うのがよいのではないかと思う。

 世界はわれわれの実存の相において意味をもったものとして立ち現れるのだから、ある概念をわれわれはどのような意味本質をもったものとして捉えているのか、このことを明らかにすることこそが、解明の方法にほかならない。

(苫野一徳)


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