エンゲルス『空想より科学へ』

はじめに

 サン・シモンフーリエオウエンらを空想的社会主義者と呼び、自身とマルクスの社会主義こそが、歴史の展開と現代の問題を科学的に捉えた、現実的な社会主義であると主張した本書。

 本書におけるエンゲルスの主張は、ざっと次のようである。

 歴史とは、経済的条件を基礎にした階級闘争の歴史である。現代において、それは資本家労働者階級の間の闘争となって現れている。そしてわれわれは言う。プロレタリアートが資本主義国家を死滅させ、計画経済をもたらす日は近いはずである、と。いや、われわれはそのような社会を、自ら目指さなければならないのである。

 こうしたマルクス主義の主張、あるいは夢は、現代ほぼ崩れ去ってしまったと言っていいだろう。さらにまた、エンゲルスが本書において言う弁証法的唯物論も、かなり狭隘な歴史決定論として批判されている。

 しかしそれでもなお、私たちは、マルクスやエンゲルスが鋭く捉えた資本主義の問題を、今なお忘れ去ってしまうわけにはいかないだろう。時代の大問題に真正面から立ち向かったマルクスやエンゲルスの精神を、われわれは十分受け継ぎ、そしてより原理的なものへと深めていく必要がある。


1.空想的社会主義批判

 本書において、まずエンゲルスは、サン・シモンフーリエオウエンといった社会主義的思想家たちの偉業を称えながらも、それはまだ空想的社会主義であったと言って批判し次のように言う。

「こういう社会主義を一つの科学とするためには、まずもって、それを現実の地盤の上にすえねばならない。」

 ではその「現実の地盤」とは何か。


2.弁証法的唯物論

 エンゲルスによれば、それは弁証法的唯物論である。

 歴史は弁証法的に(階級闘争によって)進展していく。これがエンゲルスの基本テーゼである。

 そして言う。その下部構造、つまり弁証法的な歴史の展開を下で支えている構造は、経済である。

「従来の一切の歴史は、原始時代を除けば、階級闘争の歴史であったことがあきらかになった、そしてこの闘争しあう社会階級は常に生産と交換関係の、一言でいえばその時代の経済的諸関係の産物であること〔中略〕があきらかになった。」

 歴史とは階級闘争の歴史である、そしてそれを支えてきたのは経済的条件である、というテーゼは、マルクス主義の根本思想である。

 しかし、歴史は確かにかなりの程度そのように言うことは可能だが、それだけが歴史の唯一の捉え方と言う訳にはいかないだろう。

 すでにマルクス主義華やかなりし頃から、たとえばヴェーバーは経済原理に回収されない歴史のあり方を示していたし、歴史決定論を忌避するプラグマティズムなども、マルクス主義には一定の対立姿勢や距離をとっていた(ヴェーバー『客観性論文』デューイ『自由と文化』等のページ参照)。そして今日では、マルクス主義的な弁証法的唯物論を完全に信奉する者は、あまりいなくなったと言っていいだろう。

 弁証法的唯物論は、確かに一つの説得的な歴史観ではある。しかしこれを、絶対的な科学的真理だと言ってしまうことは不可能だ。歴史観は多様であって、絶対に正しい真理としての歴史を決定することなどできないのである。

 ともあれエンゲルスは本書において、自らの、そしてマルクスの社会主義こそが、科学として真理をもたらすものであると訴えた。彼は再び、かつての空想的社会主義を批判して次のように言う。

「従来の社会主義は、現存の資本主義的生産方法とその結果とを批判はしたけれど、彼らは、それを説明できず、したがって、それをどうすることもできなかった。ただそれを悪いと非難するだけであった。」

 しかし、とエンゲルスは言う。しかしマルクスは、資本主義のいったい何が問題であるのかを、科学的に解明したのであると。

「このことは剰余価値(Mehrwert)の暴露によって成しとげられた。これで、不払労働の取得こそ資本主義生産方法とそれによって行なわれる労働者搾取の根本形態であることがわかった。」

 『資本論』のページでも見たように、マルクスによれば、資本主義の生産システムにおいては、資本家が労働者を搾取し、労働者に払う賃金よりはるかに多い剰余価値を必然的に手中に収めることになる。これが、資本家はますます富み、労働者はますます貧しくなる基本構図である。マルクスはそのように言っていた。

 エンゲルスによれば、これこそがまさに資本主義の問題の科学的解明である。エンゲルスは続ける。

「この二大発見、すなわち唯物史観と、剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露とは、われわれがマルクスに負うところである。社会主義はこの発見によって一つの科学となったのである。」

 歴史は経済条件を基礎に階級闘争を通して展開していくということ、そして現代の問題は、資本家による労働者の搾取であるということ。この2つが明らかになった今、われわれは歴史の歯車を大きく動かす道へと、自らを向かわせることができるようになるはずである。

 これがエンゲルスの考えだった。


3.計画経済へ

 資本家と労働者の対立が先鋭化すれば、プロレタリアート(労働者階級)はもはや黙っていられなくなるだろう。エンゲルスは言う。

「資本主義的生産方法は人口の大多数をますますプロレタリアに転化する、彼らは、みずから没落を免れるためには、どうしてもこの方法の変革を成就せざるをえない力である。」

 彼らはやがて、資本主義国家を打ち倒すことになるだろう。

「国家がいつの日か社会全体の本当の代表者となるならば、そのとき、それは無用物となる。」
「国家は『廃止』(“abschaffen”)されるのではない、死滅する(absterben)のである。」

 ではわれわれはどのような社会を作るべきなのか。エンゲルスは言う。

「社会的生産の内部における無政府状態にかわって計画的意識的な組織があらわれる。個人の生存競争は消滅する。かくしてはじめて人間は、ある意味では、動物界から決定的に区別され、動物的生存条件を脱して真に人間的なそれに入る。」

 計画経済によって、獲物を奪い合う動物的な人間存在は消滅し、各人が十分に満ち足りた世界がやって来る。エンゲルスはそう考えたのだ。

「それは必然の王国から自由の王国への人類の飛躍である。」

 現代においては、それこそ空想的(ユートピア)ではないかと批判されることだろう。そしてそれは、確かにその通りだと言うほかない。

 しかし冒頭でも言ったように、それでもなお、私たちは、マルクスやエンゲルスが鋭く捉えた資本主義の問題を、たとえその解決策が過激に過ぎたとしても、今なお忘れ去ってしまうわけにはいかないだろう。時代の大問題に真正面から立ち向かったマルクスやエンゲルスの精神を、われわれは十分受け継ぎ、そしてより原理的なものへと深めていく必要がある。

(苫野一徳)

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