プルードン『19世紀における革命の一般理念』

はじめに


 無政府主義の代表的思想家、プルードン。

 無政府主義の思想が登場した背景には、それなりの必然性がある。

 フランス革命から、ジャコバン独裁、ナポレオンの帝位、そして復古王政からまた2月革命……。

 めまぐるしく権力人民とのせめぎあいが続くなかで、そもそも権威というものを否定しなければ人類の幸福はありえないと考える思想家たちが登場したのは、当然といえば当然のことだったのだ。

 今日ではほとんどそのリアリティを失ってしまった無政府主義。しかしその煽動的な文体は中々見事で、多くの人々の心をとらえたに違いない、ある力のみなぎりもまた感じざるを得ない。


1.革命の不可避性

「革命が明確化されるのは、まさに反動によってなのだ。〔中略〕政府の愚かさが革命家の知識を形成するのだ。」

 プルードンは、革命の不可避性を何度も説く。そしてその理由は、そもそも革命の必然性を惹き起こした現政府にあるという。

 なぜ革命を人々は求めるのか。それは、政府のゆえに貧困があり、そしてそれを是正すべき政府が、道徳的に腐敗しているからだ。彼は次のように言う。

「人民の行動準則は《福祉と徳性への傾向》である。彼らはただ、自分たちにとって貧困と腐敗への傾向があるときにのみ反乱する。」


2.あらゆる権威の否定 

 それゆえ彼は、すべての権威を否定する。

 それは経験が、次のことを証明しているからだ。

「すなわち、いずこにおいても、またつねに、政府は最初それがいかに民衆的なものであったとしても、結局はもっとも貧困で、もっとも多数の階級に対抗して、知識水準がもっとも高い、いちばん金持の階級の側にくみするようになったということ。さらに政府は、しばらくは自由主義的な態度を維持したのちに、少しずつ例外的、排他的となったということ。最後に、すべての人々のあいだで自由および平等を支持するかわりに、政府は、特権へのその自然的傾向のゆえに、それらを破壊するために執拗に努力したということ、以上である。」

 政府は結局特権的排他的になる。だからあらゆる権力は否定されなければならない。そうプルードンは言うわけだ。

 
3.ルソー批判

 本書において、プルードンはルソーを極めて辛辣に批判する。

「一言でいえば、社会契約とは、ルソーによれば、持てる者の持たざる者に対する攻撃的および防御的な同盟にほかならず、各市民がそこで演ずる役割は、彼の財産に比例して、また貧困状態が彼に提示する諸危険の重大性に従って、彼が遂行せざるをえない治安維持の役割である。
 もし私がこの人間の天才を信じておれば、極悪とでも形容するであろうような自惚れとともに、ルソーが「社会契約!」と呼ぶものは、まさにこの憎悪の契約、この不治の人間嫌いの記念碑、廃嫡されたプロレタリアートに対する大富豪および商工業界のお歴々のこの連合、要するに、この社会的戦争の誓いなのである。」

 しかし私の考えでは、これはまったくもって非本質的な批判である。

 プルードンは、ルソーの言う多数決原理についても、そんなものに自分が服従しなければならない根拠はどこにあるのかと批判している。

 しかしこれもまた、筋違いの批判である。

 ルソーが明らかにしたことは、社会、そして権力の「正当性」は「一般意志」、つまり人民全員の合意にある、ということだ。

 持てる者の持たざる者に対する多数決原理、というようなことなど、彼はひと言も言っていない。そもそも多数決原理は、一般意志に近づくための一つの方法に過ぎないのであって、これに絶対的に従えなどともルソーは言っていない(ルソー『社会契約論』のページ参照)。


4.もはや権威なし!

 ともあれ以上のようにして、プルードンはあらゆる権威を否定して、次のように本書を締めくくる。

「この革命の主要な決定的理念は、実際、教会においても、国家においても、土地においても、金においても、《もはや権威なし》ということなのではないのであろうか?」

(苫野一徳)



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